応用行動分析による問題行動への対処。
応用行動分析では問題行動への対処で大事とされていることは「未然に防ぐ」な訳です。
事後に罰を与えることよりも有効かつ相手にはストレスがかからないよい方法です。
が、実践するほうにとっては、常に注意深く相手を観察していないといけないわけでかなり疲れます。
だから普通はターゲットとする問題行動をひとつにしぼってそれを徹底的に防ぎます。
「未然に防ぐ」はすごく当たり前に聞こえますが意外に実行は難しいので、子どもがいい子にしているときには無視、悪いことをすると注目するという逆の対応になりがちです。
というわけで、某所は場外もおしまいっぽいですが、今度は最悪の始まり方のスレだけど(あたしゃスレ主のピンポンダッシュかと思ったね。笑)それなりの意味はあったかな?
しかし民事裁判はどうしようもないから裁判で決着をつけるわけで裁判というもの自体が悪いんじゃないということ、
裁判沙汰にならないようにするのがベストであるということ、
こんなあたりまえの前提を常連も共有せずに話しをしてたのか~って驚きはしたものの。(私だけが社会常識にうといわけではなかったということで。笑
あまりのトンデモについては相当数が弁護士さんの説得で思いとどまってるだろうと想像します。(ものすごく弁護士さんが余ってトンデモにまで手を出すようになるのは心配だけど。)
裁判所も民事は結構和解のほうを勧めてるだろうと想像します。(こないだ裁判官に和解を勧められたのが気に食わないと抗議の焼身自殺をした人がいましたが、裁判官も気の毒に.....)
刑事についても大野事件以来、隠し事したって思われると困るからとりあえず届けておけ~と医療機関からの異常死の届けが増えて、個人的には届けられたほうも迷惑だろうな~って思っています。
たぶん医療事故は民事にしろ刑事にしろ裁判で決着つけるというのに向いてない。
弊害が大きすぎる上に誰も救われない。
事故の教訓は生かされるほうに向かわず,萎縮医療を引き起こす。
で、未然に防ぐということで、「誠意」という言葉が出たわけですが、これは現場からしたらかなり難しいだろうなと思います。
明らかに「誠意」が無いと思われる事件については誰も「トンデモ裁判」とは言っていないと思います。
そして慢性の疾患で患者や家族と長く関わって信頼関係が出来ている場合には「トンデモ訴訟」は起きにくいと想像します。
たとえば救急外来で患者とも家族とも初対面であったとか産婦人科で患者さん本人とは信頼関係があった筈なのに遺族とは不幸が起きて始めて関わったとか。
「誠意」を示すとか信頼関係を築くとかいう間も無く大きな悲劇が起きた時。
遺族が納得いかないとか冷静に判断出来なくなるというのは至極普通の反応だろうと思います。
問題はそこで「泣き寝入りせずに裁判に持ち込んで真実をあばくんだ!!」という考え。
それは民事裁判とは何かを誤解しているわけで、しかもマスコミやある種の団体は煽っているわけで。
ADR や事故調に期待しますが、雲行きはあやしいですね~。
事故調がうまく機能するにはそれなりの優秀な人たちの労力が必要だろうと思います。
それも学問的にというだけでなく現場の人の生の知識です。
事故調のために現場が手薄になったら本末転倒。
でもうまく機能しない変な事故調ができたら事態は悪化するでしょうし。
いつものように結論がでない話しで終わります。
そこらへんのオバサンである私には難しすぎるので。