私が包帯を巻き、神が治す。

私がいつも違和感を感じること。

医者が患者を治す?患者さんは医者に治してもらってる???

そうなの?


私の考えは「患者が治る。」

「医者は患者が治るように手伝う。」

なんです。


何で外科医は患者の体を切っていいの?

なんでそれは傷害罪にとわれないの?


それは切った傷がまたくっつくからです。

医師は切ったら縫います。

でもそれはお裁縫で言ったら仮縫いみたいなもの。

傷を本当にふさぐのは患者さん自身の体です。

だから縫った糸は抜糸できるんです。

そして患者さんの体に傷をふさぐ余力が残ってないとき、外科医はメスを入れることができません。

その場合はどんな名医がどんなに丁寧に縫っても縫合不全を起こします。


患者さんの体に宿る治癒力という名の神様。


自分が治したと言う医者に違和感を感じます。

患者さんが治ってくれたくらいに謙虚にならんかい!って言いたいこともありますが、まあがんばってる人にそんなことを言うのも何かなと我慢してますが。(自分は今それほどがんばってないことだし。

医者のくせに助けられなかったと非難する人にも違和感を感じます。

医療は魔法ではなく、病院にたどり着けば病気が治るというものでもありませんしね。

「お医者様」でも「患者様」でもなく、「医師」(およびその他の医療関係者)と「患者」はある意味戦友。

ただし、戦いに敗れても医師のほうの体は無事なので、怒りが向く場合もあるのは理解はできますが。(でもこらえて欲しいけど....)


そして病気や怪我の程度によっては医者が手伝わなくても治るものもあります。

手伝っても治らないものもあります。

やっぱり手伝ったら治るものを優先すべきだろうなと思います。

次に治らなくても手伝うことでQOLがあがるもの。



残りの部分については、自分の中でも気持ちが定まっていないのは終末期です。

手伝えば治るものに比べて優先順位は下がるだろうけど、切り捨てたくないもの。

緩和ケア、よいお看取り。

「時に癒し しばしば支え 常に慰む」

終末期については自分の身に置き換えても、それが自分なのか家族なのかでも矛盾を生じるので気持ちの整理がついてない部分ですが、「常に慰む」ははずせないので「続く。」でひとまず終わります。



ところでやっぱり最近問題が起きるのが、先に書いた「医者が病気を治す。」と言う考えと、忙しすぎて「常に慰む。」なんて時間ないよってことでしょうかね。

どうにかいろんなことがうまく行くように解決できることを願います。